蒔いた種は生える <1147>

福岡県田川郡にある、学優舎の廣瀬公典先生から、先日いただいた文章を紹介します。

とても考えさせられる、奥深い内容が書かれています。

読まれる方のそれぞれの状況の中で、自分の生き方を見つめることができる文章です。

じっくりお読みください。

廣瀬先生、ありがとうございました。


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「蒔いた種は生える」


和歌山県の雑賀正晃さんがお書きになった 「光を生きる」というご本のなかのお話を紹介します。

雑賀さんのところへ一人の奥さんが訪ねてみえた。お聞きすると、この奥さんは結婚されて二年目にお爺さんが中風で倒れてしまい、全身不随になってしまわれた。それから二年経たないうちに、今度はお婆ちゃんが中風で倒れて体の自由がきかなくなってしまった。それから、また二年経たないうちに、屋根葺屋(やねふきや)さんであったご主人が、よその家の二階の屋根を葺いているときに、足をすべらせて転落し下半身不随になってしまった。

つまり結婚して五年経たないうちに、全身不随二人、下半身不随一人をかかえて、一人で田畑を耕しながら一所懸命にその三人の世話をなさってこられたのです。村の人が可愛想に思って、

「幸い子どもさんもないことだし、いままで一所懸命に三人の方のお世話をしてきたことを村の者はみな感心しているのです。誰も悪く言う者はありません。里へ帰りなさい。ご主人の姉妹が近くに嫁いでいらっしゃるではありませんか。あなたが一所懸命お世話をしているから知らん顔をしているのです。後はどうにかなるから、お帰んなさい」と、勧めてくださるので、そうしたい気持ちと、この憐れな家族を見捨てることができない気待ちとで、どうしたらよいか分からなくなって、雑賀さんに教えてもらいたいと来られたのです。

雑賀さんは 「よく分かりました。でも、同情だけしてもどうにもなりません。単に同情の中に甘ったれて生きていくのではなくて、はっきりと心を定めて生きたい、と願われるあなたの心はとても素晴らしいことです。

でも、お答えする前に、ひとつだけお尋ねしたいことがあります。それは私の意見を聞きに来られたのか、それとも仏さまの教えを聞きに来られたのか、ということです。私の意見を聞きに来られたのなら、すみませんがお帰りください。私はそれほど偉い人間ではありません。仏きまの教えを聞きに来られたのなら、お伝えすることが私の仕事ですから、喜んでお伝えしましょう。

でも、仏さまの教えには、間違いというものはないのですから、仰せの通り素直に従うことができますか。単に参考にする程度なら、法を聞く態度ではありませんからやめましょう」

「先生、どこまでもお教えのままに従わせていただきます。教えてください」

「よく言ってくださった。それならお答えいたしましょう。『どちらでもなさい』ということです。そう答えたのでは、さぞご不満でしょう。いかにも思いやりのない無責任な返事のように思われるでしょうが、実はどちらの道でも行けるからこそ、そう言ったまでのことです。

でも、たった一つだけ、はっきりしておかなければならないことがあります。それは『蒔いた種は生える』ということです。この世はあくまで因果(いんが)の道理で動いています。いかに仏さまでも、この因果の鉄則だけは曲げることができません。

三人が病まねばならないのは宿業(しゅくごう)であって、その面倒をみなければならないのも、またあなた自身の業なのです。

それでも逃げたければ、逃げることもできます。だから、どちらでもなさいと言うのです。ただし、逃げてもことは済みません。逃げるということは、因果の果(か)を果(は)たさずにいくことですから、種が残っています。種が残っている以上、果の出てくることは当然で、逃げた先で果を摘むだけのことです。

そして逃げたいという因が種となって、先で果を実らせるということになります。今の立場でひとつの果を摘んでいくか、逃げた先で二つの果を果たすか、それだけのことです。どちらの道でもあなたのお好きなように歩んでください」

「お恥ずかしいことを聞きました。受けて、どこまでも背負っていきます」

「よく言ってくださった。仏さまもどんなに喜んでいてくださるでしょう。もう夜も更けたからお帰りなさい。ただ最後にもう一つだけ聞いてください。

誰もいない夜更けの道を、重い重い荷物を背負って泣きながら帰っていくあなた。あなたは一人で泣いているのではありません。あなたのその悲しい業(さが)を、しっかりと握りしめて泣いてくださる方がいらっしゃるはずです。その苦しみを代わってやれるものなら代わってやりたい。

でも業報の世界は一人ひとりの世界なのです。代わってやれないから、泣かずにはおられない。それが仏さまの慈悲なのです。悲しいだろう苦しいだろう。でも、一人で泣いているんじゃなかった、ということが分かる日がくるはずです。がんばろうね」

それから三年ほど経って、その奥さんが訪ねて来られました。

「先生、あれから二年ほど経って主人が亡くなりました。ある日のことでした。その日は、いつになく元気で、『いっぺん抱き起してくれないか』と、言うのです。ちょっと上体を持ち上げて柱を背にしてあげたら、

『お前、ちょっと前へ回ってくれんか』と言うのです。妙なことを言うなと思いながら前へ回りましたら、先生、なんと主人が手を合せて

『俺はなァー、いっぺん座り直してお前を拝んでから死にたかった。よく俺たちの面倒をみてくれたなあー。ありがとう。この恩だけは絶対に忘れんよ』と私を拝んでくれました。先生、あのとき逃げなかったからこそ、この喜びがもらえたのですね。

それからしばらくして主人が亡くなり、その後を追うようにして老人二人もバタバタと逝ってしまいましたが、二人とも私を拝んでくれ、安らかな死でした。逃げなくてよかったと、しみじみ思わせていただきました。

それと、もう一つ、聞いていただきたいことがあります。それは、先生が『泣くのは一人じゃないよ』と仰ったことです。

実は、実家の父が田畑の仕事を手伝いに来てくれるのです。手伝いに来てくれるのはありがたいのですが、

『お前はかわいそうだ』とも『辛いだろう』とも一言も言ってくれないのです。愚かな私はそんな父を見て、母が生きていてくれたら、どんなにか泣いてくれよう。男親というものは実に冷たいものだな……と思っていたのです。

ところがある年の秋でした。すっかり一人で野良仕事を片付けてくれた父が、『家のことも気になるでなあー。ちょっと帰ってくる。また来てやるでな』と、帰って行ったのです。

長い間、手伝ってもらって、実家の兄や兄嫁にもすまんと思い、少しばかりのお土産を父にことづけようと峠まで送って行ったのですが、峠に着くと父は向こうを向いたまま

『もうええ、早く帰ってやれ。三人が待っとるぞ』と言うものですから

『それじゃお父さん、これをお姉さんに渡してください』と言いましたら

『うん』と言って私の方を振り返った父の顔を、夕日の中にはっきりと見たのです。

その父の顔が涙でクシャクシャだったのです。そのとき全身がしびれるような気持ちになりました。電気に打たれるというのは、あんなことだと思います。

ああ、すまないことをした。私の知らないところで、父はこんなにも泣いてくれていたんだ。優しい言葉をかけてくれないのではない。かけてやりたいけれども、涙が先に立って言葉にならん。

『辛かろうの、かわいそうな娘よ』と、父は一人で泣いてくれていたのです。

去っていく父の、めっきり老けこんだ後ろ姿を……じっと拝まずにはいられませんでした。勿体(もったい)ないことでした」


このように幸不幸を超えた、夫と妻、親と娘、父と子の、すばらしい出合い、ふれあいの姿をみるとき、もう一度「人生二度なし!黄金の時を特とう」と叫ばずにはいられないのであります。

----ゴキブリ団子で有名な(株)タニサケの松岡会長が書かれた小冊子「生きるカ」の中に掲載されている、三輪真純先生の「いのちの呼応による喜びの発見」(絶版)をご紹介させていただきました。

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この記事へのコメント

ワンデイママ
2010年11月26日 09:42
胸がいっぱいで言葉になりません。
ありがとうございました。
オーちゃん
2010年11月26日 09:53
共感していただけることに幸せを感じます。
ワンディママ、いつもありがとうございます。
モン アサノ
2010年11月27日 04:55
素晴らしいお話を紹介していただき有難うございました。
今の私にとって、とてもタイムリーな、まさに仏さまからのご慈悲をいただいたように思います。生きる勇気をいただき、感謝、感謝です。
泣き言を言わずに、強く生きていきます。
オーちゃん、ありがとう。
オーちゃん
2010年11月27日 09:10
どんな内容も、その人にとって「時」がありますよね。
モン アサノ様にとって、このお話はまさに「時」だったようで、よかったです。

お互い頑張って生きていきましょうね!
ありがとうございました。
大嶋昌治
2019年12月06日 14:09
はじめまして。福井市在住の大嶋昌治(おおしままさはる)と言います。

間もなく、エゼキエル書38章に書かれている通り、ロシア・トルコ・イランがイスラエルを攻撃します。そして、マタイの福音書24章に書かれている通り、世界中からクリスチャンが消えます。その前に、キリストに悔い改めてください。

もしもクリスチャンが消えた後の世界に取り残されたら、黙示録14章を確認ください。絶対に獣の刻印(666)を受けないでください。

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